相楽神社の正月行事
江戸時代までは八幡神社と呼んでいましたが、明治10年(1877年)、延喜式内社「相楽神社」となりました。
現在は、本殿、末社5社、豊八稲荷社、拝殿、南北氏子詰所、社務所、客殿、四足門、鳥居等で構成されています。
本殿(重要文化財)
3間(4.89m)×1間(1.89m)、向拝1間(2.01m)の三間社流造(さんげんやしろながれづくり)、屋根は勾配の緩やかな檜皮葺(ひわだぶき)の社です。
建立年代は詳らかでありませんが、様式手法から室町時代初期(南北朝)と見られ、蟇股・手挟・笈形付大瓶束等いずれもよく時代を現しているといえます。また、和様の細部(斗キョウ等)に対し唐様(虹梁等)と大仏様(皿斗)の手法を加えている所など注目すべきものをもっています。
末社若宮神社本殿(京都府登録有形文化財)
一間社春日造、檜皮葺の社です。建立年代は詳らかでありませんが、様式手法から室町時代後期(16世紀後半)頃の建立と考えられています。細部に古様なつくりが残っています。
相楽の御田と正月行事(京都府指定無形文化財)
豆焼(まめやき)、粥占(かゆうら)、御田(おんだ)、餅花(もちばな)、水試(みずだめ)などがある。御田を中心とする一連の行事は、中世の宮座祭祀のあり方がよく残されており貴重なものとなっています。
豆焼
1月14日夜に社務所でおこなわれます。大豆を焼いてそのはぜ方(焼いてできた筋目)で十二ヵ月の水の状況を占うものです。
粥占
1月15日朝、小豆粥を煮て篠竹につまった粥の状況で早・中・晩稲の作柄を占う神事です。
御田
1月15日昼、4人の宮守とソノイチ(巫女)によって行われる予祝儀礼で、祝詞に始まり、鍬初め・鋤初め・肥打ち・苗代しめ・種まき・春田打ち・田植えまでの稲作の過程を演じるものです。古風な種まき、春田打ち、田植の歌を伝えており、芸能としても貴重な伝承となっています。
餅花
餅を差した竹串を粘土を芯にした藁包みに差して満開の花に見立て、これを奉納して豊作を祈るものです。
水試
本殿前に設けた祭壇の上に一本の棒を立て、棒に当たる月影の長短をもって年間の降水量を判断する神事です。新暦では月の出方が違うので、旧暦の1月15日におこなわれます。