「平重衡」は、平安時代に平家一門を繁栄させた「平清盛」の五男で、平氏に従わない勢力の拠点である東大寺・興福寺を焼き討ちにしたことで有名です。
重衡は、「一の谷の合戦」で源範頼・義経に敗れ捕虜となり鎌倉に送られますが、その時、義経の兄である源頼朝は重衡の潔さに感銘を受け、鎌倉にいる間は、最大限の配慮を持ってもてなしたと言われています。しかし、焼き討ちにあったお寺の宗徒の要求で奈良に送られ木津川で斬首されました。
重衡が首を跳ねられる際に、この世の名残に柿を食べましたが、それを見た里人が哀れに思い柿の種を植えると、実の成らない柿の木が成長し、いつからか「不成柿(ならずのかき)」と呼ばれるようになりました。しかし、今は木が代替わりし、秋になると小さな実が沢山成っています。また「不成柿」の南側に重衡の首を洗ったと言われる「首洗池」があります。
「不成柿」からJR奈良線を挟んで東側には「安福寺」があります。このお寺には、重衡を供養する「十三重塔」が建立されており、重衡の引導仏と伝えられる「阿弥陀如来像」がある本堂は、特別に「哀堂(あわんどう)」とも呼ばれています。

 

ところ

不成柿・首洗池(木津川市木津宮ノ裏)
安福寺(木津川市木津宮ノ裏274)