市内東南部の当尾地区には、多くの石仏や石塔があることで知られています。特に平安時代から修行僧の庵室や行場が設けられていた小田原には、浄瑠璃寺・岩船寺の界隈に、鎌倉時代後期から室町時代にかけて、行き交う人々のために多くの磨崖仏が造立されました。これらは、道を行き交う人々を優しく見つめてくれる道しるべとしての石仏達です。南都の近郊という立地からでしょうか、繊細で芸術性の高い石仏が多く点在し、石仏の里として訪れる人がたえません。
 

仏谷の阿弥陀(?)摩崖仏

京都方面の北側から小田原に入ってくる谷間の巨石に彫りこまれた如来型の摩崖仏。この谷を仏谷と呼び、小田原への入り口に当たるところです。磨崖仏を過ぎると、大門の集落を抜けて藪中三尊の前に出ます。この石仏は数百年の歳月を経た今日もなお、訪れる人々の心をなごませてくれます。

 

藪中三尊

東西小田原の境目に当たるところ。浄瑠璃寺の門前から少し東へ行くと、東小の集落にさしかかったところの巨石に、阿弥陀・観音・地蔵の三尊が刻まれ、弘長2年(1263)の制作年があります。仏谷から上ってくるとちょうどこの磨崖仏のところに出ます。当尾ではもっとも古い年号のある磨崖仏です。

 

 

カラスの壺

道の分岐点にある巨石の二面に、阿弥陀像と地蔵像が刻まれた珍しい摩崖仏です。康永2年(1342)の銘文が刻まれています。同じ分岐点の道端にある礎石は、近くの東小田原随願寺のものと伝えられています。これが唐臼に似ているところからカラスの壺と呼ばれるようになりました。

 

ワライ仏

阿弥陀三尊摩崖仏は俗にワライ仏と呼ばれ、もっとも親しまれている石仏です。永仁7年(1299)の銘文があり、「岩船寺」の寺号も始めて登場します。磨崖仏の上に岩が庇のようにせり出しているため、雨による侵食が少なかったようです。この磨崖仏の近くにもかつて岩船寺に向かう古い道があったといいます。

 

ミロクの辻磨崖仏

奈良から笠置寺へ向かう道筋と岩船寺への辻に位置している線刻の弥勒磨崖仏は、笠置寺の線刻弥勒磨崖仏を模刻したものと云われ、室生の大野寺の弥勒磨崖仏とも規模は異なりますが同じ信仰に基づいています。文永11年(1274)に大工末行が刻んだことが記されています。

 

 

所在地

木津川市加茂町 当尾地区 (とうの)