奈良時代に行基菩薩によって木津川(旧名泉川)に架けられた泉大橋は、後に流れ落ちましたが、鎌倉時代に至って、残っていた橋柱から文殊菩薩を刻みだし、伽藍を建立して安置したのが現在の大智寺の前身の橋柱寺と言われています。
その後、衰退しますが、寛文9年(1669年)東福門院の下賜によって本寂が中興、橋柱山大智寺と改号しました。

 

大智寺伽藍(京都府登録有形文化財)

南山城地方で江戸時代中期(寛文期)の伽藍がこれだけ残るのは貴重として登録文化財となりました。
木津川左岸の、泉大橋の南に伽藍を構え、境内は、西に山門、山門からの参道正面に西面して本堂、参道の北側に鐘楼堂、本堂北側からの渡り廊下で接続された庫裏が南面して配置される小規模な構成となっています。

文殊菩薩坐像(重要文化財)

鎌倉時代、弘安(1278~1288年)年間に作られた高さ65.2cmの寄木造の像です。唐風の服をまとい、左手に経巻をのせた蓮華を、右手に宝剣を持ち、左足を垂らして、獅子の上の蓮華座に坐っています。頭髪群青、肉身部金泥(きんでい)、着衣部は金泥を多用する彩色。白毫(びゃくごう)・玉眼は当初のものです。

十一面観音立像(重要文化財)

平安時代の10世紀末に作られた像高109.1cm、一木造の像です。穏やかな表情、腕釧(わんせん・腕飾り)を一木から刻みだし、体に内刳(うちぐり)もない点に古様が認められます。

 

所在地

木津川市木津雲村42-1