加茂盆地の北、瓶原を見下ろす山塊の中腹にある海住山寺は、天平7年(735)、聖武天皇の勅願により、東大寺の良弁僧正が開創したと伝えられています。寺の縁起では、寺院建立の折り地面より湧出した十一面観音菩薩を本尊とし、当初は観音寺と呼ばれたと云います。海住山寺の名は、鎌倉時代に寺院を再興した解脱房貞慶が、観音霊場に因んで名づけたものです。
山上の伽藍は、貞慶が復興して後のもので、本堂の傍らにそびえる朱塗りの五重塔は、山並みに映える鎌倉時代の傑作で、国宝に指定されています。十一面観音像や文殊堂、絹本著色法華曼荼羅図、海住山寺文書はいずれも国の重要文化財に指定されています。

 

海住山寺五重塔(国宝)

建保2年(1214)に、貞慶の跡を受けた慈心上人によって建立されました。塔としては小さい方ですが、昭和38年(1962)の解体修理にあたり、初重の軒下に裳階が復元され、現存する五重塔では海住山寺と奈良の法隆寺にしかない特徴です。毎年10月下旬に内部が公開されます。

海住山寺十一面観音菩薩立像(重要文化財)

寺に伝わる二体の十一面観音菩薩立像のうち、本尊は像高像高167.7センチメートル、榧材の一木造、彩色の立像ですが、彩色はほとんどが剥落し現在見られるのは後世の補彩です。もう一体は、もともと中興解脱房貞慶が自らの念持仏であったとする仏像。像高わずか45.5センチメートルの小像ながら、緻密な彫刻がほどこされています。当初より彩色のない檀像として制作された仏像で、化仏の破損が惜しまれます。

 

海住山寺文殊堂(重要文化財)

本堂の北側に配置される三間二間で寄棟造りの小堂。現在屋根は銅板葺きになっているが、当初は檜皮葺であったと考えられています。この堂には近世の文殊菩薩騎象像が安置されたことで文殊堂と呼ばれたが、貞慶十三回忌の追善願文に経蔵を建立することが記されており、これに当たると云われています。

 

所在地

木津川市加茂町例幣(れいへい)