開設:昭和27年11月1日
1日平均乗降客数:1.1千人(令和4年度)

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藤原百川の墓/木津川市

府道八幡木津線の近くに、桜の木に囲まれた2つの塚があり、百川夫婦の墓と伝えられてます。百川は、「日本後記」によると相楽郡内に墓を賜ったとあり、「延喜式」には、夫人も同所に葬られたとありますが、2つの墓のどちらが百川の墓であるかは定かではありません。
藤原氏は大化の改新の立役者、鎌足に続き、不比等が勢力を張りますが、不比等の4子が相次いで亡くなってからは衰えていました。百川は、奈良時代末期に弓削道鏡を失脚させ、桓武天皇の立太子に力を尽くし、藤原氏の勢力を復活させました。
 
 
交通:西木津駅から西へ約500m。府道八幡木津線東側

相楽神社/木津川市

古くは「八幡宮」と称していましたが、明治に至って「延喜式」に記す相楽神社と認められました。
森の中央に鎮座する本殿は、室町時代初期に建立されたもので、重要文化財となっています。本殿南側の末社、若宮神社本殿は、室町時代後期に建立されたものですが、各所に古様なつくりがみられ、京都府登録文化財となっています。
中世以来の宮座行事も伝えられており、なかでも正月に行われる一連の行事(1月14日の「豆焼」、15日の「粥占」「御田」、2月1日の「餅花」、旧暦1月15日の「水試」)は、京都府指定文化財に指定されています。稲作の過程をおもしろく演ずる「御田」や餅の花が拝殿いっぱいに開く「餅花」は一般にも公開されています。
 
 
交通:西木津駅から西南へ約500m。国道163号南側。相楽小学校西側

カザハヒ(石のカラト)古墳/木津川市

天智天皇などわずかな古墳にしかみられない上円下方墳という形態をしています。
京都府では近くの小字から「カザハヒ」、奈良県では盗掘で開いていた石室から唐戸=「カラト」の名がついたものとされています。この石室は、明日香高松塚古墳と同形式の石室で、特殊な墓の形態とともに平城京の遷都(710年)に関係ある人物の墓と考えられています。
 
 
交通:西木津駅から西南へ約4km。木津川市・精華町・奈良市境または祝園駅で近鉄奈良線に乗り換え、近鉄高の原駅から西へ約1km。木津川市・精華町・奈良市境

 

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