11約110年前に開通して、わずか9年余りで廃止された鉄道がありました。
それが「大仏鉄道」です。この幻の鉄道に想いを馳せ、かつての路線跡に残された 鉄道構造物を辿りながら「大仏鉄道の旅」として紹介します。

大仏鉄道地図

  1. 橋脚
  2. 橋脚
  3. 橋脚
  4. 梶ケ谷トンネル
    大仏鉄道 梶ヶ谷トンネル
     
  5. 赤橋
    大仏鉄道 赤橋
     
  6. このあたりの路線跡は、現在、道路として利用されている。
  7. 松谷トンネル
  8. 鹿川トンネル
  9. 黒髪山トンネル跡
    ( 明治41年に廃止されたその後も残っていたが,昭和39年に山を切り開き現在の道路が開通した際に取り壊された.トンネルは歩道橋下のセンターライン 付近にあった。)
  10. 大仏駅跡付近につくられたモニュメント
  11. JR奈良駅北側の現関西本線と大仏鉄道の合流・分岐点

 

1897年(明治30年)に名古屋~加茂間を開通させた関西鉄道株式会社は、名古屋 方面から奈良への観光客の誘致を図るため、引き続き加茂~奈良間に木津を経由しない新線の建設を始めました。
翌明治31年には加茂~大仏間8.8キロメートルが、明治32年には大仏~奈良 間1.1キロメートルが開業し、ここに加茂~大仏~奈良間全長9.9キロメートル の大仏鉄道が完成をみたわけです。
しかし、大仏鉄道はそのルートを最短距離となる奈良山丘陵に設定していたため、加茂駅の標高が40メートルであるのに対して、大仏駅は70メート ル、黒髪山では100メートルにもなりました。その結果、大仏鉄道は最急40分 の1の勾配(100メートルで2.5メートル登る)が連続する路線となり、明治時 代の小さな蒸気機関車にとって、その運転は相当な困難を極め、イギリス(ナ スミス・ウイルソン社)製の新鋭機関車をもってもけん引きギリギリで、石炭の消費量も多かったと言われています。

大仏鉄道を走った関西鉄道の蒸気機関車には、形式によって源頼朝の愛馬からとった「池月」「早風」「飛龍」「鬼鹿毛」「三笠」「千草」「雷光」など、趣のあるニックネームがつけられていました。大仏駅は加茂~大仏間の開通に併せて奈良市の現在の佐保小学校付近に設置されました。駅舎は田んぼのなかに土盛のホームと片流れの上屋・平屋の駅舎ニ棟と茶店、人力車の帳場があるだけのものでしたが、伊勢や名古屋から大仏に一番近い駅として参拝客で賑わいました。
しかし、奈良の人々が徐々に大仏駅よりも奈良駅を利用するようになり、開業からわずか3年後の明治34年には乗降客が激減しました。そして明治40年8月21日に加茂~木津~奈良間に平坦な現在のJR関西本線のルートが開通したため、大仏鉄道は廃止され、11月には駅舎とレールの撤去が開始されました。大仏鉄道は、開業からわずか9年余りでその姿を消したこととなります。
現在、大仏鉄道の名残としては、わずかな鉄橋やトンネルなどの土木構造物が路線沿いに点在し、現存しているにすぎません。
しかし、その構造物は長い時間を経ても当時と変わらぬ姿で残っており、むしろ時間の中でもまれているだけに、風景や地域に溶け込んだものとなっています。一度、あなたも大仏鉄道跡をたどってみませんか。

 大仏駅付近につくられたモニュメント

 

大仏鉄道利用客数の移り変わり

乗降車数

備考

明治31年

資料なし

加茂~大仏間開通(4月19日)

明治32年

乗車52,170人 降車21,268人

大仏~奈良間開通(5月21日)

明治33年

乗車44,638人 降車24,223人

 

明治34年

乗車18,269人 降車17,470人

 

明治35年

乗車13,369人 降車13,905人

 

明治39年

乗車 3,530人 降車 3,888人

大仏鉄道廃止決定

明治40年

乗車 33人 降車 364人

廃止(8月21日)

 

大仏鉄道の変遷

内容

明治31年4月19日

加茂~大仏間(8.8キロ)開通
大仏駅開業

明治32年5月21日

大仏~奈良間(1.1キロ)開通

明治40年8月21日

大仏鉄道廃止

明治40年11月

駅舎およびレールの撤去開始