「あらざらむ 此世の外の思い出に 今ひとたびの逢う事もがな」
この歌の詠み手をご存じですか。平安時代の女流歌人で、木津で生まれ宮仕えの後、木津に戻って余生を送ったと伝えられている和泉式部です。
三十六歌仙のひとりで、一条天皇の中宮彰子に紫式部らとともに仕え「和泉式部日記」・「和泉式部集」などの歌集を残し、恋多き歌人といわれています。
和泉式部は幼少の頃より詩歌に親しみ、「和泉守橘道貞」という人物と結婚し、夫の官名をとって「和泉式部」と呼ばれるようになったといわれています。その夫と離別した後、何人かの人物と付き合いましたが、みな若くして亡くなってしまいます。その後、中宮彰子のもとに仕えたことが縁となって、丹後守藤原保昌に嫁入りし、夫の地方への赴任についていったそうです。
和泉式部が美人であったかどうかはわかりませんが、多くの男性を引きつける魅力を備えていたことは確かなようです。地方へ行った後の消息はよくわかっていないことから、お墓といわれるものは全国に多く存在し、それぞれ伝説が残されています。

 

所在地

木津川市木津殿城所在地