高麗寺跡(こまでらあと)
指定年月日:昭和 15 年 8 月 30 日 平成 22 年 2 月 22 日(追加指定) 指定面積:20,100.5 平方メートル
高麗寺は、飛鳥時代(7 世紀初頭)に創建された寺院です。寺域は、東西約 190m、南北 約 180m(回廊で囲まれた伽藍中心部の大きさは東西約 61.9m、南北約 65.6m)を有し、木 津川が西から北に大きく流れを変える北岸の河岸段丘上に立地し、木津川舟運の港(上津遺跡)の対岸に位置しています。史跡の指定面積は、寺域の約 60%にあたります。
高麗寺の呼称は 9 世紀に書かれた仏教説話集『日本霊異記』中巻第 18 話に見ることがで き、周辺には、「上狛」や「下狛」のように「狛」をともなう地名を遺しています。4~7 世 紀に朝鮮半島北部を支配した高句麗から渡来した氏族狛(高麗)氏と関係する寺院と考えら れています。伽藍配置は東に塔、西に金堂を配する法起寺式で、背後の講堂から両翼に延び た回廊は塔・金堂を囲み中門に至りますが、南門・中門・金堂が南北一直線に並ぶのが特徴 です。
高麗寺の伽藍は大規模な修理が奈良時代末から平安時代前期におこなわれましたが、鎌 倉時代には完全に姿を消したと考えられます。
高麗寺跡における発掘調査は、史跡指定に先立つ昭和 13 年(1938)調査や昭和 59 年か ら 63 年(1984~1988)の寺域確認調査、史跡整備にともなう基礎調査が平成 17 年から 21 年(2005~2009)に実施されています。
史跡整備は、平成 22 年(2010)に開始され令和 3 年(2021)に史跡公園として開園しました。
所在地
木津川市山城町上狛高麗寺・森ノ前地内